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Thought of the Day

本業はSE、趣味は万年筆集め、模型作り、ギター改造なおっさんのブログです。

2011/3/11〜

今日から東日本大震災が起きてから、ひょんなことから被災地に行くことになり、ささやかに支援活動をしてきた話を書きます。最近、頭の中で風化し始めているので、改めて書いてみようと思いました。

あの頃は品川での仕事が終わり、池袋で働き始めてすぐの頃でした。品川での仕事は、実際に働いた会社と私の間に三つの会社が入り、私の同意を得ずに契約が成立するという無茶苦茶なものでした。その前の年に契約していた会社が突然倒産して、変な義務感から最後まで見届けたせい(自業自得という)でジリ貧になっていなければ、すぐに辞めていたでしょう。

今から振り返ると、仕事面での判断力はゼロではなくマイナスでした。逆の判断をいていれば、と後悔する局面だらけです。(笑)

そんなどうでもいい話は置いておいて。

あの日のあのとき、二階にいても揺れは強烈で、机にしがみつきながらモニターやパソコンを押さえました。

揺れはなかなか収まらず社長に外に出ろと言われて全員で外に出ました。外に出たら、高層ビルがはっきりとわかるくらいグラグラと揺れているのが目に入ってきて、二階で良かったと思いました。(高所恐怖症なので)

揺れが収まったら両親と家のことが心配になって、電話をかけるとさすがにauもsoftbankもdocomoも使えませんでした。普段は出番があまりなくなっていたWillcomは普通に使えて、家は掃除のしがいがある状態になったものの、両親の無事を確認することができました。被害は私のパソコンや楽器が吹っ飛んだことくらいでした。他の人にもWillcomを貸して、それぞれ身内の安否を確認していました。

# その後、風呂などが壊れていることが発覚しました。

それからしばらくして、余震に何度か襲われるも、大きいのはこないだろうから〜と仕事する中、ネットで情報を探していた同僚が、津波の映像を見つけて小さく叫び声をあげました。声につられて画面を見た私は絶句。あのとき受けたショックは、今でも言葉にはできません。その後、現地に行った時に受けたショックと同じように。

だがしかしで、被災地にいる人達は、私とは違って、あの日からずっと被災した現実と嫌でも向き合わざるをえない状態に、現在進行形でいることを、肝に銘じる必要があると思います。

20時くらいに会社を出て、歩いて当時行きつけだった大塚にある飲み屋まで行きました。酒瓶とかが割れてたら掃除を手伝おうと思ったのです。大塚はほとんど揺れなかったそうで、店はどちらも無事でした。

JRも私鉄も止まり、バスなら大丈夫だろうと思ったのは、甘かったですね。事態の深刻さを把握できてませんでした。

普段は車の通りが少ない道も車だらけで、どの道路もただの駐車場と化していました。バスなんてよくそこまで詰め込んだと感動するくらいの満員状態で、バスやタクシーを待つ人の列も試合後の埼玉スタジアムより凄くなってました。これは歩いたほうが早いと判断して、家まで歩くことにしました。

大塚から王子、豊島五丁目団地とバスのルートを辿ることにして、排気ガスで吐きそうになりながら歩いていきました。何十台もの車が止まって排気ガスを出しているんですから、気分も悪くなります。飲食店は、池袋はほとんど閉まってましたが、他は開いてました。マクドナルドとかはどこも満員で入れませんでした。

王子駅の喫煙所でタバコを吸いながら、戻って仕事をするか、家に帰るかかなり悩みました。賢明な人間なら、会社に戻るでしょう。しかし、私は大病を患ったばかりの父と母が心配で、帰ることにしました。

親孝行とかではなく、何かあったら近くにいたいと思っただけです。

途中、豊島五丁目団地あたりで道が空いたときにタクシーに乗って、歩き始めてから三時間と少しで家に着きました。

買い占めや計画停電の話は次回にします。