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Thought of the Day

本業はSE、趣味は万年筆集め、模型作り、ギター改造なおっさんのブログです。

楽しかった?

そういえば、被災地に行ったときの話の続きを書いていませんでした。精神的に余裕があるときでないと書けないんですよね。

 

昨日、Twitterを眺めていたら、被災地に行って楽しかったとツイートしている人がいました。

 

その方(もしかしたら会ったことがあるかも)が何をしたかとか、楽しかったと書いたこと自体はどうでもいいんです。個人の自由ですから。

 

自分はどうだったんだろう?というのが今日のお話。

 

一昨年の5月に、友人の知人の企画に協力する形で私は宮城県の東松島市名取市に行きました。

 

詳しいことはいずれ書くとして、特に印象的だったのは、まず寒い廊下にダンボールを敷いて寝ていたおばあさんのこと。そこでは暖房が効いた部屋に段ボールをパーティションにして被災された方々が暮らしていました。

 

ボランティアの宿泊スペース(ただの原っぱ)のそばにあったその避難所の周りは道路に地割れがあるくらいで、スーパーや飲食店は営業していますし、夕方になれば学生たちが家に帰っていく、ごく普通の光景が見られました。震災が起きたことを感じさせるのは、避難所の中だけでした。

 

「寒いでしょうに」と私が言うと、おばあさんは「独りになりたい」と答えました。

 

私は何も言えませんでした。

 

タバコを吸っているときに知り合った方の言葉も忘れられません。何故か私は地元の人間だと思われることが多く、いろいろな場所でいろいろな人と話す機会を得ることができました。

 

「食べるものも、寝るところも、着るものも、なんでも与えられて、それに慣れていく自分が怖いんです」

 

年配の方はこう言いました。

 

「こんなことになるなら死んだほうがよかった」

 

「いつか分配される大金より、今、一万円がほしい」

 

窓の外にはいつもの日常があり、人々が普通の暮らしを送っています。それを避難所に移ってきた日からずっと、ずっと目の当たりにすることが、どういうことなのか。

 

5月とはいえ、東京人には耐えられそうにない寒さの中、何故おばあさんはダンボールの上で寝ることを選んだのか。

 

そこまで追い詰めたのは震災なのか、行政なのか、人なのか。

 

最終的に、私の中に残ったのは、自分の無力さ、無能さに対する怒りでした。

 

そんな状況で、基本的に私が訪れた避難所はどこもピリピリしていました。唯一の例外は、東松島市の牛網というところにあった避難所で、そこは他と違って被災地の中にある避難所でした。

 

そこは取りまとめている方が素晴らしく、いわゆる自宅避難者の方々が差別されることもなく、公平に物資を分けたりしていました。環境的には私が見た中で一番悪いのに、雰囲気は一番良かったです。

 

それでも、避難されている皆さんから聞いた話はどれも壮絶で、家族を失った5歳くらいの女の子の感情を失ったような表情は未だに忘れられません。

 

その子に限らず、他の避難所で会った子どもたちはどんな日々を過ごしているのでしょうか。たまにお菓子や玩具の類を送ってますが、子どもたちの心が心配でなりません。その部分でも、自分の非力さと無能さに怒りを感じ続けています。

 

楽しかったか?と聞かれたら、私は「楽しくなどなかった」と即答します。行ったことを後悔しているか?と聞かれたら、後悔していないと答えます。たまに夢に出ますがね。

 

自覚しなければならないのは、自分が東京に戻って、たまに夢で現地のことを見る程度の生活を送っている間、現地では現在進行形で多くの人が日常を失った、日常を奪われた状態で居続けている、ということでしょう。

 

これからも何かしらの形で支援をしていきたいものです。